やさしい物語を、少しずつ更新しています。

第9話 小学校入学前に起きていたこと― 知らなかった「療育手帳」と家族の葛藤 ―

人生の物語

私が小学校に入学する前、ある検査を受けていたそうです。

そしてその結果、療育手帳を取得していたと、大人になってから知りました。

当時の私はまだ小さくて、そのことを理解することも、記憶に残すこともできていませんでした。

正直に言うと、小学校入学前の記憶はほとんどなくて、ぼんやりと覚えているのは、校長室でお菓子を食べていたことくらいです。

でも、その裏では、家族にとって大きな出来事がいくつも起きていました。

まず、問題になったのは「これから通う小学校でどうするか」ということでした。

お母さんは、私の特性について学校側にきちんと理解してもらおうと、直接先生たちに説明しに行ったそうです。

けれど、当時の小学校の先生たちは、療育手帳の存在や発達障害について、ほとんど知識がなかったといいます。

今でこそ「発達障害」という言葉は広く知られるようになりましたが、当時はまだ一般的ではなく、「ちょっと変わった子」というような認識をされることも多かった時代でした。

そのため、お母さんがどれだけ説明をしても、どこまで理解してもらえたのかは分からなかったそうです。

今思えば、とても不安だったと思います。

そんな中でも、お母さんや母方の家族は、私のことを受け入れてくれていました。

「この子はこの子」として、そのままの私を見てくれていたのだと思います。

一方で、父や父方の家族は、発達障害というものを受け入れられなかったようです。

「うちの子がそんなわけない」

そんな思いが強かったと聞いています。

同じ家族の中でも、受け止め方が違うという現実。

お母さんはその間で、きっとたくさん悩んでいたと思います。

そしてもう一つ、大きな選択がありました。

それは、私を普通学級に入れるか、それとも支援学級にするかということです。

どちらが正解なのかは、簡単には決められるものではありません。

その子にとって何が合っているのか、どんな環境がいいのか、考えれば考えるほど迷うものだと思います。

お母さんも、きっとたくさん悩んで、たくさん考えて決断したのだと思います。

そして最終的に、私は普通学級に入ることになりました。

当時の私は、その選択の意味も、背景も、何も分かっていませんでした。

ただ、与えられた環境の中で過ごしていただけです。

でも大人になった今、当時の話を聞くことで、あのとき周りの大人たちがどれだけ悩み、動いてくれていたのかを知りました。

何も知らずに過ごしていたあの時間は、実はたくさんの選択と葛藤の上に成り立っていたんだと思います。

そしてもう一つ、あとから知って驚いたことがあります。

それは、私自身が療育手帳を持っていたことを、大人になるまで知らなかったということです。

当時、お母さんが教えてくれなかった理由は、
まだ私が一人で行動することがなく、常にお母さんと一緒にいたからだそうです。

確かに、その状況であれば、必要になる場面も少なかったのかもしれません。
でも、今振り返ると――

せめて、その存在くらいは教えてほしかった。

知らないまま過ごしていた時間と、知ったあとの気持ち。
その間には、小さくない差があったように思います。

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ここでは、子どもの頃から現在まで、私が経験してきた出来事を時系列で記録しています。発達障がいの特性によって感じてきた困りごとや生きづらさ、そこから少しずつ見つけてきた工夫や気づき、そして日々の小さな前進を、一つひとつ物語として綴っています。...
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発達グレー当事者「白蜜ゆあ」が、子ども時代から現在までの経験や気づきをやさしい物語として発信。恋愛・仕事・推し活も楽しみながら歩んできたリアルな人生の記録を綴っています。
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