小学校高学年の春休み。
私は、お母さんと一緒に母方の実家へ帰っていた日がありました。
その頃の私は、学校のことや家のことに少しずつ違和感を抱えるようになっていて、母方の実家に行くと少し安心できる気がしていました。
けれど、その日の夜。
私たちが母方の実家へ行っていたことが、父親に知られてしまいました。
すると突然、父親が「家族会議をする」と言い始めました。
私は詳しい内容までは理解できていませんでしたが、父親はお母さんに対して色々なことを話していました。
そして私は、
「この家から出て行け」
そんな空気を感じていました。
その後、父親から私はどちらについて行きたいのかを聞かれました。
私は迷わず、
「お母さん」
と答えました。
今思えば、あの時の私は、父親や父方の家族といることに強い苦しさを感じていたのだと思います。
そのあと、家の中ではランドセルや荷物の片付けが始まりました。
お母さんからは以前から、
「今よりお金がなくなるけど大丈夫?」
と聞かれていました。
けれど当時の私は、生活がどう変わるのかまでは正直よく分かっていませんでした。
子どもだった私には、「お金がなくなる」という言葉の重さを、まだ理解しきれていなかったのだと思います。
さらに、お母さんは保険証や家の鍵など、大事なものを置いていくように言われていました。
その影響で、その後しばらく病院へ行くたびに困ることも増えていきました。
そしてその日は、そのまま眠りました。
すると朝方。
まだ外も暗い時間に、お母さんから起こされました。
「ここを出るよ」
時計を見ると、朝の4時頃でした。
私たちは静かに荷物をまとめ、タクシーへ運びました。
後から聞いた話ですが、この時の私は“家事の馬鹿力”のような状態だったらしく、大きな荷物を運んでいたそうです。
そして向かった先には、じいじとばあばが待ってくれていました。
その姿を見た瞬間、私はやっと安心できたのだと思います。
母方の実家へ着いた私は、そのままもう一度眠りにつきました。
けれど、この時の私はまだ知りませんでした。
ここから、生活も環境も大きく変わっていくことを。
そして、「家が変わる」ということが、子どもの私に想像していた以上の影響を与えていくことを――。
あの朝、午前4時に家を出たことを、私は今でも覚えています。
暗い外。
静かなタクシー。
そして、じいじとばあばの姿を見た時の安心感。
子どもの頃の記憶は曖昧な部分も多いけれど、あの時に感じた不安や安心感だけは、今でも心の中に残っています。
当時の私は、「家族の問題」をうまく理解できていませんでした。
でも今振り返ると、お母さんも必死だったんだと思います。
そして、支えてくれる人がいたからこそ、私たちは前に進むことができたのかもしれません。
もし今、不安の中にいる人がいたら。
あなたにも、安心できる場所や人が見つかりますように。
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