前回の記事では、小学校生活の中で少しずつ孤立感が強くなっていったことについて書きました。
小学校高学年になる頃には、私はさまざまなことに違和感を感じるようになっていました。
学校でのこと。
家の中のこと。
両親の関係のこと。
子どもながらに、「何かがおかしい」と感じることが増えていった時期だったと思います。
そんな中、小学5年生の夏休み、私はお母さんの実家で過ごすことになりました。
私は母方の祖父母のことを「じいじ」「ばあば」と呼んでいました。
一方で、父方の祖父母は「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼んでいました。
後からお母さんに聞いた話では、父方の祖母が東京に住むきょうだいに対抗するような気持ちがあったのではないか、と話していました。
お母さん自身は、その呼び方があまり好きではなかったそうです。
当時の私は、父親や父方の家族から離れたいという気持ちを強く持っていました。
だからこそ、じいじとばあばの家へ行ける夏休みを、とても楽しみにしていました。
お母さんの実家の近くには、親戚もたくさん住んでいました。
今思えば、当時住んでいた家から距離はそこまで遠くありません。
けれど、空気や雰囲気はまったく違っていました。
周囲は田舎で、遊ぶ場所もあまりありませんでした。
それでも私は、「安心できる場所ってこういう所なんだ」と、子どもながらに感じていた気がします。
お盆には、親戚お手製のバーベキュー場でバーベキューをしました。
夜にはみんなで花火を見たり、親戚同士で集まったりして過ごしていました。
そのバーベキュー場は、私たち子どもの要望を聞きながら、この年から毎年少しずつ改良されていったそうです。
ただ、そこに父親が来た時だけは、少しがっかりした気持ちになったのを覚えています。
せっかく安心できる場所だったのに、その空気が少し変わってしまう気がしていました。
もちろん、楽しいことばかりではありません。
宿題をしたり、時には怒られたりもしました。
それでも、その時間はどこか安心感がありました。
親戚が飼っていた犬と遊んだり、のんびり過ごした時間も覚えています。
そして夏休みの終わりが近づいた頃。
帰る日に、親戚が本物の竹を切ってきてくれて、お母さんの実家のガレージの上で「そうめん流し」をしてくれました。
後になって知ったのですが、その竹は近所の人のもので、ちゃんと許可を取って切っていたそうです。
子どもの頃の私は、そんなことも知らずに、ただ楽しくて嬉しくて。
そして心のどこかで、ずっとこう思っていました。
「このままずっと、ここで暮らせたらいいのに」
あの頃の私は、
「安心できる場所」をずっと探していたのかもしれません。
家でも学校でも、どこか気を張って過ごしていた私にとって、
母の実家で過ごした時間は、数少ない“心が休まる場所”でした。
今でも夏になると、
花火の音やバーベキューのにおい、そうめん流しの冷たい水を思い出すことがあります。
子どもの頃は、「なんとなく落ち着く場所」と「なぜか苦しくなる場所」の違いを、うまく言葉にすることはできませんでした。
でも今思えば、
人は“安心できる環境”によって、心の状態が大きく変わるのだと思います。
特に発達障害や生きづらさを抱えている人ほど、
「どこで過ごすか」「誰といるか」は、とても大切なのかもしれません。
もし今、どこにも居場所がないように感じている人がいたら、
無理をして頑張り続けなくてもいいんだと伝えたいです。
そして、このブログが誰かにとって、少しでも「安心できる場所」になれたらうれしいです。
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