私が小学校に入学する前、ある検査を受けていたそうです。
そしてその結果、療育手帳を取得していたと、大人になってから知りました。
当時の私はまだ小さくて、そのことを理解することも、記憶に残すこともできていませんでした。
正直に言うと、小学校入学前の記憶はほとんどなくて、ぼんやりと覚えているのは、校長室でお菓子を食べていたことくらいです。
でも、その裏では、家族にとって大きな出来事がいくつも起きていました。
まず、問題になったのは「これから通う小学校でどうするか」ということでした。
お母さんは、私の特性について学校側にきちんと理解してもらおうと、直接先生たちに説明しに行ったそうです。
けれど、当時の小学校の先生たちは、療育手帳の存在や発達障害について、ほとんど知識がなかったといいます。
今でこそ「発達障害」という言葉は広く知られるようになりましたが、当時はまだ一般的ではなく、「ちょっと変わった子」というような認識をされることも多かった時代でした。
そのため、お母さんがどれだけ説明をしても、どこまで理解してもらえたのかは分からなかったそうです。
今思えば、とても不安だったと思います。
そんな中でも、お母さんや母方の家族は、私のことを受け入れてくれていました。
「この子はこの子」として、そのままの私を見てくれていたのだと思います。
一方で、父や父方の家族は、発達障害というものを受け入れられなかったようです。
「うちの子がそんなわけない」
そんな思いが強かったと聞いています。
同じ家族の中でも、受け止め方が違うという現実。
お母さんはその間で、きっとたくさん悩んでいたと思います。
そしてもう一つ、大きな選択がありました。
それは、私を普通学級に入れるか、それとも支援学級にするかということです。
どちらが正解なのかは、簡単には決められるものではありません。
その子にとって何が合っているのか、どんな環境がいいのか、考えれば考えるほど迷うものだと思います。
お母さんも、きっとたくさん悩んで、たくさん考えて決断したのだと思います。
そして最終的に、私は普通学級に入ることになりました。
当時の私は、その選択の意味も、背景も、何も分かっていませんでした。
ただ、与えられた環境の中で過ごしていただけです。
でも大人になった今、当時の話を聞くことで、あのとき周りの大人たちがどれだけ悩み、動いてくれていたのかを知りました。
何も知らずに過ごしていたあの時間は、実はたくさんの選択と葛藤の上に成り立っていたんだと思います。
そしてもう一つ、あとから知って驚いたことがあります。
それは、私自身が療育手帳を持っていたことを、大人になるまで知らなかったということです。
当時、お母さんが教えてくれなかった理由は、
まだ私が一人で行動することがなく、常にお母さんと一緒にいたからだそうです。
確かに、その状況であれば、必要になる場面も少なかったのかもしれません。
でも、今振り返ると――
せめて、その存在くらいは教えてほしかった。
知らないまま過ごしていた時間と、知ったあとの気持ち。
その間には、小さくない差があったように思います。





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